明日と芦谷の往復書簡(仮)

明日と芦谷の往復書簡(仮)です。

愛の話【明日編】

皆さんこんにちは、明日と申します。


せっかく芦谷から色んなテーマ案を出してもらったのに、それをスルーした上での壮大なテーマをムチャ振りするという蛮行、本当に失礼しました。笑

そんな中、書いてくれてありがとう芦谷さん。

 


愛の話といえば、忘れられないエピソードがあります。

そもそも、「愛」って一体何なの??って思いませんか?

 

わたし、明日は、キリスト教系の大学出身で、当時は哲学・宗教学を主に専攻していました。

(とはいえわたし自身は、今のところ何の宗教も信仰していません)


学部生として学ぶにはあまりにも壮大な学問ですし、元来ポンコツで不勉強なわたしは4年間で学問を修められた気なぞ微塵もしておらず後ろめたい気持ちで一杯なのですが、大学で哲学・宗教学を学ぶにおいて、主に2人の教授にとてもお世話になりました。


1人目の、わたしの指導教官は、キリスト教神学の教授で、クリスチャンかつ牧師です。

2人目の、もう教授職はご引退されているにもかかわらず、自主ゼミのような形でハイデガーの読書会を開催した際に、付きっきりで熱心に指導してくださった哲学の教授も、クリスチャンでした。

 


そんなお2人に、別々のタイミングで「先生、先生の思う"愛"って何ですか?」と真剣なトーンで聞いたことがあります。

わたしの質問を聞くやいなや、2人とも目をまんまるく見開いて、そして『そんな当たり前のことすら分からんのか君は』と言いたそうにニヤっとした後、異口同音にこう言われました。

 


「"愛"とは、不確実性を受け容れることです」

 


さらに哲学の教授は続けて、

「だから、例えば恋人同士で渡し合う誕生日プレゼントを、自分の欲しいものをあらかじめ細かくリクエストするなんていう行為、あれは愛じゃないです。恋人が自分のことを考えながら一生懸命選んで、時間とお金をかけてプレゼントしてくれたものを、感謝してありがたく受け取る。これが愛です。挙句、もらったものがタイプじゃないとか文句を言うなんて言語道断」

と説明してくれました。

 


自然災害、コロナ禍、病気、事件事故、戦争、金融危機、進学、引越、就職異動転職退職、出会いと別れ、プレゼントやアクシデント等々、我々は大小様々な不確実性の中に生きています。

好ましいものも好ましくないものも、我々に降り掛かってくる不確実性を受け容れること、それが"愛"だと、先生達は言いました。

 


その話を聞いた時の己の"愛"のなさ、すなわち、不確実性を受け容れる度胸の無さを初めて自覚し、とても大きなショックを受けたのを、その瞬間から10年も経とうという今でも鮮烈に覚えています。

未だにプレゼントはかなり細部まであれこれ指定しリクエストしてしまったり、たまに田舎の親から送られてくる段ボール一杯の仕送りに好みじゃない食べ物が詰まっていると文句を言ったりしている、とてもわがままで幼稚なわたしは、充分な"愛"がない人間で、修行が必要です。

死ぬまで毎日毎秒やってくる様々な不確実なものたちを、どーんと構えて受け容れる、愛に溢れた素敵な人物になりたいものです。

 


このお2人の見解が全く一緒だったのは単なる偶然なのか、クリスチャン的または哲学的常識なのかは分かりませんが、わたしにとって忘れられない"愛"の一つの定義です。

 

 


なんだか初回から長々と語ってしまった。。しかもなんか説教・胡散臭くなってしまってすんません。繰り返しになりますが、わたしはキリスト教徒ではないですし、布教するつもりで話してるわけではないので、「へえ〜そんな考えもあるんや〜」と思って楽しく読んでいただけたら何よりです。

ここまで付き合って読んでくれた皆さん、ありがとうございます。

 


次のテーマは「い」ということで、我々の大好きな「いきもの」の話でどうでしょう?

芦谷の更新、楽しみにしてる〜。

 

 


明日